第2章:1995|PPP・ハブ・運用(Sun Microsystems)
PPPは、ネットを「趣味」から「事業」に変えます。ここから先は、技術だけでは回りません。
回線、設備、運用、販売、サポート——全部が同時に動く必要がある。
「インフラは彼らが持つ。顧客は私たちが持つ。」
—— 1995年、PPP事業が“分業”で成立した瞬間
東京・横浜・大阪の三ハブでPPPサービスを運用。 ハブが増えるほど、接続品質とサポートの現実が顔を出す。
- Tokyo Hub
- Yokohama Hub
- Osaka Hub
三ハブ以外の地域をカバーするための協業。 “都市部だけでは終わらない”ことが、日本のネットの特徴になる。
50/50という取り決めは、単に利益配分ではない。 インフラの責任範囲と、顧客対応の責任範囲を明確にしないと、PPPは回らない。
DOSで回る“部屋の都市”。テキストの厳しさは、構造化の強さになる。
Sun Microsystemsで回る“接続の機械”。運用は「落とさないこと」が最大の価値になる。
1995年のインターネットは、速度も費用も制約だらけ。その制約が“運用の技術”を磨く。 そして、その現実はBusinessWeekに残っている。
1996は、紙面・顧客・採用・資金が同時に増える年。 そして、成長の次に必ず来るのは「統制」だ。