「いただきます」は、食事の前の短い言葉である。だが、doubletの2026年春夏コレクションでは、その言葉が服になった。魚を獲る網、卵の殻の膜、魚の革、ジビエの革、農業、漁業、食べること、命を受け取ること。井野将之氏は、食卓の前で何気なく発する一言を、パリのランウェイで身体にまとう素材の物語へ変えた。

doublet公式サイトは、このコレクションについて、「いただきます」という言葉に込められた、命、自然、食を育てる人々への敬意と感謝を服に翻訳したものだと説明する。私たちの命は、食べ物を育て、収穫し、獲り、運ぶ一次産業の人々に支えられている。その巨大な循環を忘れないための言葉が、服の形を借りて現れた。

なかでも象徴的なのが、廃棄された漁網を再生した素材である。日本で回収された使用済み漁網を原料とするMURON®のフィラメントと織物が、doubletの2026年春夏コレクションの一部に提供された。服は、海で使われた道具の後半生になった。魚を獲るための網が、今度は人間の身体を包む布になる。そこに、「いただきます」という言葉の重さがある。

コレクションの中身:食べる前の言葉を、着るための服へ

2026年SSdoublet Spring/Summer 2026 “ITADAKIMASU”
廃漁網日本で回収された使用済み漁網を再生したMURON®素材
卵殻膜廃棄される卵の膜を素材文脈へ取り込む
魚革高知の漁港に由来する魚の革への言及
2012年井野将之氏と村上高士氏がdoubletを設立
2018年井野氏が日本人初のLVMH Prizeグランプリを受賞

Fashion Week Onlineは、doubletの2026年春夏について、金目鯛漁で使われた漁網の再利用、Kochiの漁港に由来する魚革、廃棄される卵殻膜、ジビエレザーなど、見落とされがちなものの豊かさを示すコレクションだと紹介した。Office Magazineも、このシーズンを「いただきます」に込められた感謝の精神を服に翻訳したものとして読み解いている。

MURON®の発表によれば、同社は日本で回収された廃漁網100%由来のMURON®フィラメントをdoubletに提供し、さらにMURON®を緯糸に使って織った生地も一部ルックに採用された。ここで重要なのは、サステナブル素材を使いました、という表面的な話にとどまらないことだ。素材がコレクションの物語の中心にある。

漁網は、海の労働の道具である。魚を獲るために使われ、摩耗し、捨てられれば海洋ごみになり得る。だが、再生されると繊維になり、糸になり、布になる。doubletは、その変換を「いただきます」という言葉に接続した。食べることと着ることを、同じ循環の中へ入れたのである。

「いただきます」は、食べ物への言葉であると同時に、私たちが自然と労働と命の循環の中にいることを思い出すための言葉でもある。

doubletとは何か:「違和感のある日常着」

doubletは2012年、井野将之氏とパタンナーの村上高士氏によって設立された。LVMH Prizeの公式プロフィールによれば、井野氏は1979年に群馬県で生まれ、東京モード学園を卒業し、MIHARAYASUHIROで靴とアクセサリーのヘッドデザイナーとして経験を積んだ後、doubletを設立した。

ブランドの基盤は、ベーシックでスタンダードな日常着である。しかし、そこには必ず違和感が混ぜ込まれる。普通のフーディー、Tシャツ、トラックスーツ、ジャケットに見えて、どこかがおかしい。サイズがずれる。文字が変わる。素材が裏切る。冗談が本気になり、本気が冗談に見える。

この「違和感のある日常着」という姿勢は、2018年に世界へ知られることになった。井野氏はLVMH Prize for Young Fashion Designersでグランプリを受賞し、日本人デザイナーとして初めて同賞の最高賞を獲得した。Rakuten Fashion Week Tokyoのインタビューは、その受賞が井野氏を一躍世界的に注目されるデザイナーにしたと記している。

GQは当時、LVMH Prizeがdoubletを選んだことを、ラグジュアリーがストリートウェアへ本格的に向かった象徴として読んだ。doubletは、伝統的なテーラリングの優等生ではなかった。グラフィック、ジャージ、フーディー、違和感、ジェンダーの揺らぎ、笑い。それが、2018年のファッションの中心に入ったのである。

なぜ「いただきます」なのか

「いただきます」は、日本語の中でも説明が難しい言葉である。直訳すれば「私はいただきます」だが、英語の“Let’s eat”だけでは足りない。神仏への祈り、命への感謝、作った人への礼、食材への敬意、家庭のしつけ、学校給食の習慣。さまざまな層がある。

食べることは、最も日常的でありながら、最も暴力的な行為でもある。命を受け取る。植物を切る。魚を獲る。動物を解体する。農家、漁師、畜産、運送、店、料理人、家族。食卓に料理が届くまでには、多くの人と自然の働きがある。「いただきます」は、その複雑さを短い一言で受け止めるための言葉である。

doubletがその言葉を服にしたことは、非常にdoubletらしい。井野氏の服は、いつも日常の当たり前を少しだけずらす。食事の前の言葉も、当たり前すぎて見えなくなっている。だが、ランウェイに持ち込むと、その言葉が突然重くなる。服は、食べることの影をまとい始める。

漁網が服になる:海洋ごみと素材循環

廃漁網は、海洋ごみの中でも大きな問題として語られることが多い。日本政府のKizuna記事は、海の豊かさを将来へ残すためには海洋ごみ問題の解決が必要であり、網などの漁具が海ごみの相当部分を占めると説明している。そこで、日本の漁港を拠点とするスタートアップが、古くなった網を漁業者から買い取り、ナイロン繊維へアップサイクルする取り組みを進めていると紹介している。

ファッションが廃漁網を使うことには、二つの意味がある。ひとつは環境的意味である。捨てられれば海を汚すものを、素材として循環に戻す。もうひとつは物語的意味である。服の中に、海、漁師、魚、食卓、港、地域の記憶が入る。

doubletの「いただきます」では、この二つが重なる。廃漁網は、単なるエコ素材ではない。魚を獲る労働と食べることの記憶を持つ素材である。漁網が服になるとき、着る人は海の労働の後半を身にまとうことになる。

金目鯛、魚革、卵殻膜:食の副産物をどう読むか

Fashion Week Onlineは、doublet SS26について、金目鯛漁に使われた漁網、Kochiの漁港からの魚革、廃棄卵殻膜、ジビエレザーなどを挙げた。ここには、単に珍しい素材を使ったという以上の意味がある。食産業の周辺にあるもの、捨てられがちなもの、見えなくなりがちなものを、ファッションの表面へ戻している。

魚革は、食べられた魚の残りでもあり、革としての新しい可能性でもある。卵殻膜は、卵を使う産業の副産物でありながら、素材としての機能を持つ。ジビエレザーは、野生動物、地域、狩猟、食文化、獣害対策など、多くの社会的文脈を含む。

「いただきます」という言葉が強いのは、こうした副産物や周辺物をすべて同じ循環の中に置けるからである。食べることは、食材だけで完結しない。網、皮、膜、骨、働く人、港、山、農地、流通。服は、その見えない部分を見えるものにする。

Sky High Farmと“食べ物を通じた社会”

Fashion Week Onlineは、doubletがSky High Farmの哲学にも触れていたと紹介している。Sky High Farmは、食を通じて社会を耕すという考え方で知られる組織であり、ファッションとの接点も持ってきた。食べ物を作ること、分配すること、支えること、コミュニティを作ることは、単なる農業ではなく社会の設計でもある。

doubletがここに関心を寄せるのは自然である。ブランドはいつも、日常の中の見えない構造をひっくり返して見せる。フーディーの裏、Tシャツの文字、コンビニ的なもの、ゲーム的なもの、笑い。今回は、食の裏側が服になった。農業、漁業、一次産業、廃棄、循環、感謝。食べる前の言葉が、社会の構造を照らす。

サステナビリティを説教にしないdoubletの強さ

サステナブル・ファッションは、しばしば正しいが退屈になりがちである。素材の説明、認証、削減率、環境負荷。もちろん重要だが、それだけでは服が生きない。doubletの強さは、サステナビリティを説教にせず、物語、冗談、違和感、身体感覚へ変えるところにある。

「いただきます」は、環境スローガンではない。食卓の前で毎日言う言葉である。だからこそ、深い。廃漁網を使う理由も、数字だけではなく、食べることへの感謝と接続される。魚を獲る網が服になる。食べられた魚の革が素材になる。卵の膜が布の文脈に入る。環境の話が、急に生活の話になる。

井野氏は、重いテーマを重く見せすぎない。そこに笑いや奇妙さを入れる。だから、観客はまず驚き、次に笑い、最後に考える。doubletの服は、いつもその順番で効いてくる。

パリで「いただきます」を言うこと

このコレクションがパリで発表されたことも重要である。「いただきます」は日本語の言葉であり、日本の食卓の習慣である。しかし、命を受け取ること、食を支える労働へ感謝すること、廃棄を素材へ変えることは、世界中で共有できるテーマである。

パリのランウェイで「いただきます」をテーマにすることは、日本文化をエキゾチックに見せることではない。むしろ、非常に日常的な言葉を使って、世界的な問いを立てることである。私たちは何を食べているのか。誰がそれを作ったのか。何が捨てられているのか。捨てられたものは、別の形で生きられるのか。

ファッションは、しばしば食と遠い場所にあるように見える。美しい服、華やかな会場、写真、モデル、編集者。しかし、服も食も、素材、労働、土地、水、物流、廃棄に支えられている。doubletは、その共通する裏側を見せた。

Japan.co.jpの見方

doubletの「ITADAKIMASU」は、2026年春夏の中でも特に日本らしく、同時に世界的なコレクションである。日本らしさは、着物や和柄ではなく、食卓の前の言葉にある。世界性は、海洋ごみ、一次産業、素材循環、食の労働という普遍的な問題にある。

廃漁網を服にすることは、環境の話である。だが、doubletにおいては、それだけではない。漁網は魚を獲る道具であり、魚は食べ物であり、食べ物は命であり、命は「いただきます」という言葉へつながる。素材の選択が、言葉の意味を深くする。

井野将之氏の服は、いつも日常の違和感から始まる。今回は、食べる前の当たり前の一言が、海と港と農地と廃棄と服をつないだ。サステナブルである前に、詩的である。詩的である前に、現実的である。その順番が、doubletらしい。

読者のための要点

項目内容
何が起きたかdoublet 2026年春夏コレクション “ITADAKIMASU” が、食への感謝を服に翻訳した。
主な素材文脈廃漁網由来のMURON®、魚革、卵殻膜、ジビエレザーなど。
意味食べること、一次産業、自然、命、廃棄、循環をファッションの素材へ接続した。
doubletの背景井野将之氏が2012年に設立。2018年に日本人初のLVMH Prizeグランプリを受賞。
読み方サステナブル素材の話であると同時に、日本語の「いただきます」を世界的な服の物語へ変える試み。

Sources and references

この記事は、doublet公式サイト、MURON®、Office Magazine、Fashion Week Online、LVMH Prize、Rakuten Fashion Week Tokyo、HERO、JapanGov Kizunaなどの資料を参考にしました。

  • doublet: Spring/Summer 2026 “ITADAKIMASU” collection statement.
  • MURON®: Filament and fabrics made from discarded fishing nets supplied to doublet.
  • Office Magazine: Doublet SS26 and the spirit of Itadakimasu.
  • Fashion Week Online: Doublet Spring/Summer 2026 Collection, Paris Fashion Week Men’s.
  • LVMH Prize: doublet by Masayuki Ino, winner of the 2018 LVMH Prize.
  • Rakuten Fashion Week Tokyo: Masayuki Ino interview and LVMH Prize context.
  • JapanGov Kizuna: Fishing net upcycling and marine debris context.