東京・高円寺の小杉湯をめぐるニュースは、一軒の銭湯ががんばっている、というだけの話ではない。昭和の生活インフラだった銭湯が、令和の都市でどのように生き残るのか。風呂のないアパートのための施設だった場所が、リモートワーク、カフェ、読書、町内会、消防団、若者、親子、常連、観光客をつなぐ「まちの居間」になれるのか。その答えの一つが、小杉湯と、その隣にある小杉湯となりである。

日本政府の海外向け発信は、最近の小杉湯を「ファンが地域の担い手になる」事例として紹介した。1933年創業の歴史ある銭湯が、単なる衛生施設から地域コミュニティの核へ変化し、常連客たちが独立したグループ「銭湯ぐらし」をつくり、隣接する共有空間「小杉湯となり」を始めた、という物語である。ここで重要なのは、再生の主語が行政でも大資本でもなく、利用者だったことだ。

小杉湯となりは、公式サイトで「小杉湯のとなりにある、お風呂つきのシェアスペース」と説明されている。平日はコワーキングや生活空間、週末はカフェとして使われ、風呂上がりにくつろぎ、働き、食事をし、会話できる。1階には共有キッチンとリビング、2階には畳のワークスペース、3階には六畳の個室とバルコニーがある。風呂だけで完結しない、風呂から町へ広がる仕組みである。

数字で見る銭湯の危機と再生

1933年小杉湯の創業年
2021年国の登録有形文化財に指定
2,500超1960年代後半の東京の銭湯数
430未満2024年の東京の公衆浴場数の目安
5分高円寺駅から小杉湯となりまでの徒歩距離
3階建て小杉湯となりの生活・仕事・休憩空間
銭湯の未来は、湯船だけではなく、湯船の前後にある時間をどう豊かにするかで決まる。

小杉湯とは何か

小杉湯は杉並区高円寺北にある銭湯である。Experience Suginami は、1933年から地域を温め続けてきた銭湯で、2021年には国の登録有形文化財に指定されたと紹介している。高円寺駅北口から徒歩約5分。大人料金、子ども料金、タオル貸し出しなどの実用情報も掲載されており、観光名所というより、いまも日常の店として生きていることがわかる。

小杉湯の魅力は、建物の古さだけではない。ミルク風呂、ジェット風呂、日替わり風呂、イベント、アーティストや地元店との協業、ランナー向けの利用など、古い形式を守りながら、町の新しい使い方に合わせている。高円寺という土地柄も大きい。古着、音楽、ライブハウス、商店街、サブカルチャー、中央線の自由な空気。小杉湯は、その町の性格を湯気の中に持ち込んでいる。

しかし、小杉湯が象徴的なのは、銭湯単体の改装ではなく、周辺の町との接続にある。小杉湯となりは、入浴施設を補完するだけではない。風呂の後に本を読む、台所で料理をする、仕事をする、イベントを開く、知らない人と話す。銭湯を「点」ではなく「生活圏」にする発想である。

江戸から始まる都市の風呂

銭湯の歴史は、東京の都市史そのものに近い。Nippon.com の解説によれば、江戸で最初の公衆浴場は1591年、現在の大手町周辺に開かれたとされる。江戸時代には庶民の日常施設として広がり、1810年には市中に523軒の銭湯があったという記録もある。江戸の町は木造家屋が密集し、個人の家に十分な風呂を持つことは難しかった。銭湯は、清潔を保つ場所であり、情報交換の場であり、都市生活のリズムだった。

江戸時代の浴室は、現在の明るい銭湯とは違い、蒸気を逃がさないために低く暗い構造だった。のちに明治期の衛生観念、西洋からの批判、混浴禁止、換気と開放性の改良によって、現在に近い高い天井の形式へ移っていく。1908年には東京に1,217軒の銭湯があったとされ、1968年には全国で18,325軒に達したという資料もある。銭湯は、近代日本の清潔な都市生活を支えるインフラだった。

東京型の銭湯には、社寺建築を思わせる宮造りの建物も多い。これは関東大震災後の復興と関係する。街を元気づけるため、寺社建築の経験を持つ大工が、銭湯を華やかな建物として作った。唐破風の屋根、富士山のペンキ絵、のれん、番台、脱衣所。銭湯は機能だけでなく、町の風景でもあった。

なぜ銭湯は減ったのか

銭湯が減った最大の理由は、成功である。戦後の住宅政策と所得上昇によって、家庭に内風呂が普及した。東京都浴場組合は、昭和40年頃から家庭風呂の普及とともに銭湯数が減少したと説明している。Tokyo Updates も、東京の銭湯利用は1960年代にピークを迎え、その後、住宅に風呂が備わるにつれて減ったとする。2024年12月時点で東京に残る銭湯はおよそ430軒とされる。

減少には、生活スタイルだけでなく、経営の問題もある。燃料費、電気代、水道代、修繕費、人手不足、後継者問題、土地価格、再開発。銭湯は入浴料が低く抑えられる一方で、広い浴槽を毎日温め、清潔に保ち、大きな建物を維持しなければならない。都市の土地として見れば、銭湯の敷地はマンションや店舗に変えた方が収益性は高い。だから銭湯を続けることは、文化の問題であると同時に、経営の意思でもある。

それでも、近年は新しい評価が生まれている。東京都浴場組合は、令和の銭湯を「町の温泉」「安価なレジャースポット」として再評価している。Tokyo Updates も、サウナ人気を背景に、若い世代が銭湯の価値を見直していると伝える。高価な専門サウナ施設ではなく、近所の銭湯で汗を流し、湯に入り、水風呂を使う。昭和の衛生施設が、令和のウェルネス施設として戻ってきている。

小杉湯となりという発明

小杉湯となりの面白さは、銭湯を改装するのではなく、銭湯の隣に時間を作ったことにある。風呂に入る前と後の時間を、町の中に残す。コワーキング、カフェ、共有キッチン、本棚、イベント、個室、バルコニー、風呂上がりの飲み物。これらは一見、小さな機能だが、銭湯の利用頻度を変える力を持つ。

公式サイトは、小杉湯となりを「第二の家」のように使える場所として表現している。週末のドロップイン利用、入浴券付きプラン、テイクアウトのクラフトコーラやビール、地域イベント。さらには周辺の空き家を活用した「銭湯アパートメント」まで展開している。風呂は小杉湯、勉強や台所は小杉湯となり、寝室は近隣のアパート。家を一つの建物ではなく、町に分散させる発想である。

これは、東京の住宅事情とも合っている。狭い部屋、リモートワーク、単身世帯、孤独、地域との距離。小杉湯となりは、家にはない広いリビング、会社にはないゆるさ、カフェにはない近所感を提供する。銭湯の湯船は、そこへ入るための入口になる。

ファンが運営者になる時代

JapanGov の紹介で特に印象的なのは、「常連客が地域再生を主導した」という点である。銭湯ぐらしのメンバーは、もともと小杉湯の常連であり、小杉湯の隣の風呂なしアパートに住んでいたという。つまり、彼らは外からやって来た再生コンサルタントではない。生活者として、銭湯がある暮らしを知っていた。

この構図は、地域再生にとって大きな意味を持つ。行政の補助金だけで文化施設を残すのは難しい。観光客だけに頼ると、日常の場がイベント施設になってしまう。大企業の資本だけでは、町の温度が失われることもある。常連が関わると、何を変えてよく、何を変えてはいけないかの感覚が残る。小杉湯が「古いのに新しい」と感じられる理由は、そこにある。

さらに、銭湯は世代を混ぜる。家族、学生、会社員、退職者、外国人、ランナー、近所の店主。服を脱いで同じ湯に入るという経験は、都市の階層や肩書きを一度弱める。東京都浴場組合が言うように、銭湯は近所の人が会い、異なる世代が集まる場所である。その性質を、風呂の外へ拡張したのが小杉湯となりだ。

銭湯再生は全国のヒントになるか

小杉湯のモデルをそのまま全国にコピーできるわけではない。高円寺という町の密度、中央線文化、若い利用者、古い建物、常連の熱量、運営チーム、隣接物件。これらが重なって成立している。しかし、考え方は応用できる。銭湯を「入浴料だけで支える施設」から「地域の複合的な時間を生む施設」へ変えることだ。

たとえば、空き家、商店街、図書、食、ランニング、子育て、介護予防、アート、移住、リモートワーク。銭湯は、それらと相性が良い。風呂は人をリラックスさせ、同じ場所へ繰り返し来る理由を作る。さらに、銭湯は住宅地の中にある。駅前の大型施設ではなく、日常の徒歩圏にある。これは地域インフラとして非常に強い。

Sento & Neighborhood は、銭湯を地域の温かな人間関係を育てる重要な節点と表現している。同団体は、東京の公衆浴場が1960年代後半の2,500軒超から2024年に430軒未満へ減ったとし、建築保存、記録、地域活用の必要性を訴える。小杉湯の物語は、その大きな流れの中で読むべきである。

Japan.co.jpの見方

小杉湯のニュースが魅力的なのは、懐古だけでは終わらないからだ。古いものを守る、という話なら日本にはたくさんある。しかし小杉湯は、古いものを使って新しい都市生活を作っている。銭湯を博物館にせず、町の現在形として動かしている。

2026年の東京では、孤独、暑さ、住宅の狭さ、働き方の変化、地域参加の弱体化が同時に進んでいる。小杉湯となりは、これらすべてへの小さな回答である。湯に入る。汗を流す。畳で仕事をする。台所で食べる。知らない常連と少し話す。町内会や消防団に若者が関わる。大きな政策ではなく、日々の動線で町を作る。

銭湯の未来は、昭和に戻ることではない。家に風呂がなかった時代には戻れない。だが、家に風呂があっても、町に風呂が必要な理由は作れる。小杉湯はそのことを示している。湯船は、体を温めるだけでなく、都市の関係をもう一度温めることができる。

読者のための要点

項目読み方
何が起きているか小杉湯と小杉湯となりが、銭湯を地域コミュニティ、仕事、カフェ、生活空間へ広げる事例として注目されている。
歴史的背景銭湯は江戸時代から都市生活を支え、戦後の家庭風呂普及で減少した。
危機東京の銭湯は1960年代のピークから大きく減り、後継者、燃料費、修繕、土地価格が課題。
新しい価値サウナ、ウェルネス、地域交流、リモートワーク、観光、文化保存が銭湯の新しい役割になっている。
Japan.co.jpの見方小杉湯は、古いインフラを現代の生活導線へつなぎ直す、東京らしい地域再生モデルである。

Sources and references

この記事は、JapanGov、Kosugiyu Tonari、東京都公式メディア Tokyo Updates、東京都浴場組合、Experience Suginami、Sento & Neighborhood、Nippon.com の銭湯史解説を参考にしました。営業時間・料金・営業形態は変更される可能性があります。