日本のドーナツはいま、穴よりも食感で語られている。かつてドーナツといえば、リング形、砂糖、油、コーヒー、駅前のチェーン店だった。だが近年の日本で行列を作っているのは、軽く、湿り、口の中でほどける「生ドーナツ」である。名前に「生」とあるが、もちろん生焼けではない。焼き菓子や揚げ菓子の世界で日本語の「生」は、しばしば「新鮮」「やわらかい」「水分を含む」「なめらか」「できたてに近い」という感覚をまとめて表す。生チョコ、生キャラメル、生食パン、生クリーム。そこへ、生ドーナツが加わった。
Web Japanは2026年の食トレンドとして、生ドーナツを「日本が西洋の定番を再発明する例」と紹介した。柔らかく、雲のような食感、かわいらしい見た目、SNSで共有しやすいデザインが人気を押し上げている。重要なのは、これは単なる甘い菓子の流行ではないことだ。日本の消費者が長年磨いてきた「食感へのこだわり」と、コンビニスイーツ、ベーカリー文化、百貨店地下食品売り場、観光客の行列、海外進出が一つに重なった現象なのである。
今回のブームを象徴する店の一つが、東京発の「I'm donut ?」だ。2022年に中目黒で開業し、独特のやわらかさと写真に残る商品設計で行列店になった。報道によれば、同店の生ドーナツはブリオッシュ系の生地にカボチャを使い、しっとり、もちっと、ふわっとした食感を作る。2025年にはニューヨーク・タイムズスクエアに海外1号店を開いた。東京の行列菓子が、世界で最も観光客の多い交差点の一つへ出たのである。
数字で読む生ドーナツ現象
ドーナツはアメリカから来て、日本で別物になった
ドーナツの日本史を語るなら、ミスタードーナツを避けて通れない。Mister Donutは米国で生まれたチェーンだが、日本では大阪のダスキンが導入し、1971年に大阪府箕面市で日本1号店を開いた。高度成長期の日本では、米国式のコーヒーとドーナツは、外食の近代性、家族の外出、学生の待ち合わせを象徴する存在になった。
その後、米国本土ではMister Donutの多くがDunkin' Donutsへ転換していったが、日本では逆にミスタードーナツが独自の発展を遂げた。日本のミスタードーナツは、単に米国のドーナツを輸入し続けたのではない。季節限定、抹茶、桜、きなこ、黒糖、ポン・デ・リング、キャラクターコラボ、福袋。日本のチェーン菓子らしく、商品を少しずつ変え、季節と話題を作り、何度も来店する理由を生んだ。
2003年に登場したポン・デ・リングは、その象徴である。一般的な米国風ドーナツが「甘い」「油で揚げた」「コーヒーと合う」ものだったとすれば、ポン・デ・リングは「もちもち」という言葉で語られた。ここで日本のドーナツ文化は、味よりも食感を強く前面に出す方向へ進んだ。生ドーナツは、この流れの先にある。
「生」という言葉が売るもの
日本の食品市場で「生」という語は、単なる未加熱を意味しない。生チョコは生のカカオを食べるものではなく、クリームを含んだなめらかなチョコレートだ。生キャラメルは口どけの柔らかさを売る。生食パンは焼かれているが、耳までやわらかく、しっとりしていることを伝える。つまり「生」は、衛生上の状態ではなく、感覚の言葉である。
この感覚は日本の菓子文化と相性がよい。和菓子には、求肥、餅、わらび餅、羊羹、葛、あんこ、生菓子など、食感で楽しむ伝統がある。洋菓子が入ってきても、日本の消費者は単に甘ければよいとは考えなかった。軽いか、重いか。しっとりか、さくさくか。もちもちか、ふわふわか。口どけはどうか。冷やすとどう変わるか。この細かな言語が、ドーナツにも適用された。
生ドーナツは、揚げ菓子でありながら、ケーキ、パン、クリーム菓子、和菓子の境界に立つ。外側に揚げ菓子の香りがあり、内側にブリオッシュやクリームパンの柔らかさがある。穴のない丸い形や、クリームを詰めた断面は、ドーナツというより小さなデザートパンにも見える。だからこそ、新しく感じられる。
I'm donut ? と行列の設計
I'm donut ? の成功は、味だけでなく、体験の設計にもある。中目黒という街、白を基調にした店舗、限られた商品数、目の前に並ぶ丸いドーナツ、箱を開けたときの写真映え、そして行列。日本の人気スイーツは、しばしば「待つこと」を商品の一部にする。行列は不便であると同時に、人気の証明であり、SNSの素材でもある。
Food & Wineはニューヨーク店について、東京のシェフ平子良太氏によるブランドがタイムズスクエアへ進出し、カボチャを練り込んだ生地や独自の食感、甘いものから惣菜系までの展開で注目を集めたと紹介した。The New Yorkerも、I'm donut ? を単なる菓子店ではなく、国際チェーンの新しい魅力と体験消費の例として論じた。
もちろん、海外では評価が分かれる。ニューヨークでは高価格や奇抜な惣菜系メニューに対する批判も出た。だが、その賛否こそが重要である。日本のスイーツが「かわいい」「おいしい」だけでなく、海外都市の食文化の議論に入ったということだからだ。ラーメン、寿司、抹茶、和牛に続き、ドーナツもまた日本的に再編集された食として輸出され始めている。
コンビニスイーツとデパ地下が作った土台
生ドーナツのブームは突然現れたわけではない。日本では1990年代以降、コンビニエンスストアがスイーツの実験場になった。シュークリーム、ロールケーキ、プリン、チーズケーキ、モンブラン、もち系スイーツ。24時間買える場所で、価格は手ごろ、品質は年々高く、パッケージは写真に強い。消費者は「新商品を試す」ことに慣れていった。
百貨店の地下食品売り場、いわゆるデパ地下も同じ役割を果たした。地域の名店、期間限定、季節の果物、行列、手土産、贈答、試食。ここでは菓子が、単なる食べ物ではなく、話題、贈り物、記憶として売られる。生ドーナツの断面、箱、限定味、行列は、この日本型食品売り場の文法とよく合う。
さらに、ベーカリー文化の発展があった。日本のパン屋は、フランス風、ドイツ風、惣菜パン、菓子パン、食パン専門店、カレーパン、あんバターまで、海外のパンを日本の食生活に合わせて変えてきた。生ドーナツは、パン屋とスイーツ店の中間にある商品として自然に受け入れられた。
なぜいま「やわらかさ」なのか
日本の食品トレンドは、時代の気分を映す。バブル期の豪華な洋菓子、平成のコンビニスイーツ、令和の映えるカフェ、そして近年の「ふわふわ」「とろとろ」「もちもち」。やわらかい食感は、忙しい都市生活の中で小さな慰めになる。強い甘さより、軽い口どけ。大きな贅沢より、数百円から千円台の小さなご褒美。
生ドーナツは、その条件を満たしている。食べる時間は短いが、買う前の期待、箱を開ける瞬間、断面の写真、クリームの香り、口の中で消える食感まで、体験の段階が多い。これは現代の食品ヒットに必要な要素である。味覚、視覚、触覚、物語、共有性がそろっている。
また、若い世代だけでなく、観光客にもわかりやすい。寿司や懐石のような文化的説明がなくても、ドーナツは世界中の人に通じる。そのうえで、日本らしい柔らかさ、抹茶や季節味、丁寧な包装が加わる。海外客にとって、生ドーナツは「知っているものなのに、少し違う」体験になる。
世界へ出る日本のドーナツ
I'm donut ? のニューヨーク進出は、生ドーナツの物語にとって象徴的だった。タイムズスクエアは、観光、広告、劇場、チェーン店、SNSが交差する場所である。そこに日本発のドーナツ店が出るということは、日本の食文化が高級店だけでなく、日常的でポップな形でも世界へ出ていることを示す。
日本の外食輸出は、かつて寿司、ラーメン、焼き鳥、カレー、居酒屋が中心だった。近年は、抹茶スイーツ、パンケーキ、チーズタルト、クレープ、和牛バーガー、コンビニ風おにぎりまで広がっている。生ドーナツは、この「日本が再編集した海外料理を、さらに海外へ返す」循環の一例だ。ドーナツは米国発の大衆菓子だった。それを日本が食感とデザインで変え、ニューヨークへ持っていく。文化の往復である。
ただし、海外展開には課題もある。生ドーナツは鮮度と食感が命だ。工場で大量に作って長距離輸送する商品より、店舗で作り、すぐ売り、すぐ食べるモデルに向いている。人件費、家賃、行列管理、現地の甘さの好み、価格感、惣菜系への反応。これらをどう調整するかが、単なる流行で終わるか、定着するかを分ける。
Japan.co.jpの見方
生ドーナツの面白さは、日本が「新しいもの」を作ったというより、「知っているものを別の感覚で作り直した」ところにある。ドーナツは世界中にある。だが、日本の生ドーナツは、穴、形、重さ、甘さ、食べ方、買い方を少しずつ変えた。そこに日本の食品産業の強みがある。大発明ではなく、細部の改良。革命ではなく、食感の編集である。
この小さな食べ物は、今日の日本経済も映している。円安で海外旅行が高くなり、国内で小さな楽しみを探す人がいる。訪日客は、日本の行列店を旅の目的にする。SNSは、食べる前に見る価値を作る。菓子職人は、パン、和菓子、洋菓子、惣菜の境界を越える。
生ドーナツは、明日の日本を変える大ニュースではない。しかし、今日の日本を読むにはとてもよいニュースである。なぜなら、日本の強さはしばしば、こういう小さなものに出るからだ。やわらかさを言葉にし、食感を商品にし、行列を体験にし、海外の定番を日本の記憶に変える。生ドーナツは、ふわふわした菓子でありながら、かなり硬い文化輸出の物語なのである。
読者のための要点
| 項目 | 読み方 |
|---|---|
| 何が起きているか | 日本で「生ドーナツ」が人気化し、行列店や海外展開まで広がっている。 |
| 「生」の意味 | 未加熱ではなく、新鮮、しっとり、なめらか、口どけの良さを伝える日本語表現。 |
| 歴史的土台 | ミスタードーナツ、ポン・デ・リング、コンビニスイーツ、デパ地下、ベーカリー文化。 |
| なぜ広がるか | 食感、写真映え、行列、限定味、観光客にもわかりやすい普遍性。 |
| Japan.co.jpの見方 | 生ドーナツは、日本が海外の定番を食感と体験で再編集する力を示す小さな文化輸出である。 |
Sources and references
この記事は、Web Japan、Japan Travel、Food & Wine、The New Yorker、Voyapon、Mister Donut公式情報、JETRO Japan Street、およびドーナツ・ベーカリー関連の公開資料を参考にしました。店舗数、メニュー、価格、海外展開状況は変更される可能性があります。
- Web Japan: From Fluffy to Famous: Japan's Nama Donut Craze.
- Japan Travel: I'm Donut?: Japan's Viral Donut Sensation.
- Food & Wine: What to Get at NYC's Japanese doughnut shop.
- The New Yorker: I'm Donut? and the allure of the international chain.
- Voyapon: How Mister Donut won over Japan.
